時々、大きな音で
自分の好きな音楽を聞きたくなる。
そんな事を想いながら
小さな頃の事を思い出してみたり・・・。
僕が小さな頃、母は
朝食の時に、毎朝 レコードを聞かせてくれてた。
主にクラシック音楽。
特にベートーヴェン と ショパン が、母の好みだった。
ベートーヴェンは、
カラヤン指揮のオーケストラが多かった・・
カラヤンさんのレコードジャケットで見る写真は
気難しいそうだけれど、何だかかっこ良いな〜〜〜と思ってた。
ショパンは ホロヴィッツさんのが多かった・・・
レコードジャケットで微笑む
ホロヴィッツさんの柔らかな 彼の笑顔・・・
『何だ?このおじさん・・・』
何だか見た事無い雰囲気の大人だな〜〜・・・と
正直、少し 怖かった・・・笑
朝、それらを聞いて
夕方、ピアノを練習する。
そして時々、母は、コンサートに連れて行ってくれた。
僕が飽きてごそごそしたりすると、
はじめは、股のあたりにすっと手を置き
こっちをみて 微笑する。
『良い音楽ね。』といわんばかりに
それでも、僕がごそごそすると
次は、肩に手を置き
真剣な顔で僕を見つめる。
『もう少し、聞いてみて・・・』と言わんばかりに
それでも、僕が ごそごそすると
すっと僕の手を引き
会場を後にする。
でも、その後にロビーで
怒られた!という記憶は無い。
そこで、怒られてたら コンサートに行くのが嫌になってただろう・・・
そんなことがあっても、母は諦めずに
僕を、コンサートに連れて行ってくれた。
少し小児ぜんそくもあったので、無理はせず、
僕が飽きてごそごそしたり、咳をし始めると
迷わず、怒らず、僕のペースにあわせて会場を出てた。
練習の時は、とても厳しかったけど、
音楽鑑賞のときは、いつも優しかった。
だから僕は、クラシック・ジャズ問わず、
コンサートに母と行くのが好きだった。
その時、大音量の生音はとても気持ち良く
うるさい!と思った事はなかったと思う。
そんな事を思い出しながら、
僕は最近、こう思う。
音楽を耳で聞くのではなく。
肌で聞く事は、音程や音色と共に
ダイレクトに『リズム感』を学ぶと言う事なのかもな〜〜〜って・・・
朝のレコードは、頭に音を蓄積させ
夕方の練習は、自分と音楽の関係性を深め
コンサートの音は、体にリズムをしみ込ませてたのかもな〜〜〜と・・・
そんな、母は、何も楽器は出来ないし
唄もそんなに上手くはない・・・
なのに、音楽の素晴らしさを知ってんだな〜〜〜
と
最近、具体的に思う。
僕も、息子赤ちゃんだったころから
寝かせ付ける時には、
よく モンゴメリーブラザーズ のアルバムを聴かせながら
だっこして
リズムに合わせて
ゆーらゆーら・・・
大体3局目位で くーーーっと寝入ってた・・・
ライブにいっても、だっこして前の方にいって、
踊ってた。
そんな時息子は、目を丸くしながら、
ジーーーーットライブをみたり
じーーーっとスピーカーも見つめたり・・・
息子をだっこしながら
僕が踊り、
音とリズムの関係を知ってもらおうとしてた・・・
人間、『リズム感』が全てのセンスに関わると思ってる。
努力と頭脳だけでは行けない領域がある。
それは、動物としての 野生としての 『リズム感』だと思う。
体で聞く。
そう
肌で音を聴く。
とても素晴らしい行為です。
オススメです。